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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和32年(わ)78号 判決 1960年2月26日

被告人 山村キノ

昭六・三・二〇生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

二、本件事実の概要及びその問題点

三、朝群の独立

四、平和条約第二条(a)項の解釈

(1)  解釈の方法

(2)  同条項の由来及び規定の精神

(3)  戦争終結の結果領土の一部独立の場合の国際法上の原則

(4)  同条項によつて日本国籍を喪失した者の範囲

(5)  朝鮮に定住しない(朝鮮人の妻・養子となつた)日本人の国籍

(6)  朝鮮に定住していた(朝鮮人の妻・養子でない)日本人の国籍

五、韓国の国籍及び日本の国籍の得喪

六、国籍の牴触

七、東京高等裁判所の見解(解釈)、を採らない理由

八、結論

一、公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、昭和二十六年六月八日朝鮮人山村良男こと金泳沢と結婚し、同日より外国人となつたものであるところ、右の日より三十日以内に当時の住居地の市長である桐生市長に対し、外国人登録の申請をしなければならないのに、これを怠り、昭和三十二年二月九日まで不法に本邦に在留したもの」であつて、右は外国人登録法第三条第一項に違反し、同法第十八条第一項第一号に該当するというのである。

二、本件事実の概要及びその問題点

よつて案ずるに、被告人が昭和六年三月二十日群馬県桐生市浜松町二丁目七百六番地に本籍を有する日本人四辻駒吉を父として出生した日本人であるが、昭和二十六年六月八日朝鮮慶尚北道清道郡梅田面上坪洞八百四十八番地に本籍を有する朝鮮人山村良男こと金泳沢と本邦(桐生市)において婚姻をし、その妻となり、その後今日に至るまで、本邦に在留しているものであることは、群馬県桐生市長前原一治作成の被告人に対する戸籍(除籍)抄本、証人山村良男こと金泳沢、高草木茂、武盛男に対する各尋問調書、右金泳沢の司法巡査に対する供述調書、証人篠原章の当公判廷における供述、被告人の当公判廷における陳述及び司法巡査に対する供述調書並に共通法第二条第二項第三条第一項法例第十三条第一項民法第七百三十九条等の規定によつて明らかである。

そこで、まず、旧国籍法(明治三二年法律第六六号)施行当時である昭和六年三月二十日前記日本人を父として出生し、同法第一条の規定により日本の国籍を取得した被告人が、昭和二十六年六月八日前記朝鮮人山村良男こと金泳沢と婚姻をし、その妻となつたことから、はたして日本の国籍を失ない、外国人登録法第二条第二項所定の「外国人」となつたものであるか、どうかの点について検討をすることにする。

三、朝鮮の独立

思うに、朝鮮は、昭和二十六年九月八日成立し翌昭和二十七年四月二十八日その効力を生じた日本国と連合国との間の平和条約により、わが国が朝鮮の独立を承認し、同地域に対する統治権(主権)を放棄した結果、わが国の領土から離れ、その地域の住民に国籍の変更を生ずるに至つたものであるから、被告人のような、右条約発効前朝鮮人の妻となつていた日本人が、はたして、右条約の発効に伴ない、国籍の変更を来し、わが国の国籍を喪失したものであるか、どうかの問題は、右条約の趣旨と古来広く認められてきた国際法上の原則とによつて、これを解決しなければならない。

四、平和条約第二条(a)項の解釈

(1)  解釈の方法

そこで、まず、右平和条約(昭和二七年四月二八日条約第五号)についてこれを見るに、その第二条(a)項には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、……朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定している。その表現されている文言は、きわめて巧妙にできていて、その表現された文言のみでは、右の条項を同条約中に規定した目的が那辺にあるかは、到底これを正確に把握することはできない。

そこで、これを知るがためには、いきおい、右条項が同条約中に規定せられるに至つた由来をたずね、それのもつ歴史的背景を知り、そして、これに論理的な解釈を試みなければならない。けだし、条約は、その当時における当事国のもつ歴史的な背景、その他諸般の国際情勢と相関聯して締結されるものであるからである。

(2)  同条項の由来及び規定の精神

よつて、進んで、右平和条約第二条(a)項が、同条約中に規定されるに至つた由来をたずねるに、朝鮮の地域は、もと明治四十三年(一九一〇年)八月二十二日、わが国と(旧)韓国との間に締結され、同月二十九日公布施行された「韓国併合ニ関スル条約」によつて、韓国がわが国に併合(同条約第二条、「韓国併合ニ関スル宣言」明治四三年八月二九日官報い報欄掲載)され、同地域の統治権(主権)が韓国からわが国に(「譲与」(同条約第一条第二条)されて)移転し、その結果、(わが国が「全然韓国ノ施政ヲ担任シ」(同条約第六条)てこれを統治することになり、)その統治権の客体である同地域(領土)がわが国の領土となり、また同地域の住民(旧韓国民)がわが国の国籍を取得して日本国民となつたものであるが、その後、古来同地域に定住し生存してきた同地域に特殊な地縁関係のある「朝鮮民族」(旧韓国人・朝鮮人)が、右の地域において、いくたびかその独立を叫び朝鮮の独立を要求し、今次大戦中米、英、中華三連合国がこれを支持して、その昭和十八年(一九四三年)十一月二十七日のカイロ宣言第四項において、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、軈て朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す。」と規定し、その履行を昭和二十年(一九四五年)七月二十六日のポツダム宣言第八項において再確認しているのに対し、わが国が、同年九月二日降伏文書の調印によつて、右ポツダム宣言の履行を受諾し、昭和二十六年(一九五一年)九月八日右各宣言の実行を期する連合国が起草した前記条項を含む右平和条約に調印し、翌昭和二十七年(一九五二年)四月二十八日同条約が効力を生ずるに至つたものであることは、公知の事実であつて、同条項の由来する右一連の歴史的事実をかえりみ、なお、右平和条約締結前、昭和二十年(一九四五年)十月二日朝鮮の南部に大韓民国が、また、昭和二十三年(一九四八年)二月十六日その北部に北鮮人民共和国が、それぞれ成立している公知の事実を併わせ考えるときは、右条約第二条(a)項の規定は、わが国が朝鮮の独立を承認して、同地域の統治権(主権)をすべて放棄し、「朝鮮の人民」すなわち、古来朝鮮の地域に定住し生存してきた同地域に特殊な地縁関係のある住民、いわゆる「朝鮮人」という種族、民族の血統にある人民を、わが国の統治権(主権)下から離し、そのいわゆる「奴隷状態」から解放して、これを自主独立のものとすることを、その目的(精神)とするものであると考えられる。

(3)  戦争終結の結果領土の一部独立の場合の国際法上の原則

これを国際法上の原則について見るに、およそ、戦争の終結の結果領土の一部に独立が行われた場合に、特別の定がないときは、その独立地域の住民に当然国籍の変更を生じ、独立地域の住民は当然旧領有国の国籍を喪失し新領有国の国籍を取得するものであることは、古来国際法上広く認められてきたところである。そして、右朝鮮の独立は、今次大東亜戦争終結の結果の所産であり、その右平和条約中には、この点に関して、何らのとりきめもなされていないのであるから、右条約第二条(a)項によつて、わが国が、朝鮮の独立を承認し、同地域に対する統治権をすべて放棄した結果、同地域の住民は、右国際法上の原則に従い、当然旧領有国であるわが国の国籍を喪失したものであると解すべきである。しかし、右朝鮮の地域に、どのような関係のある者が、こゝにいわゆるその「住民」であつて、右条約の発効により、わが国の国籍を喪失したものであるかは、同条約第二条(a)項の精神と国際法上における原則とに従つて、これを決定しなければならない。

(4)  同条項によつて日本の国籍を喪失した者の範囲

そうして、右平和条約第二条(a)項の規定の目的ないし精神が、前記のとおり、「朝鮮民族」(「朝鮮人」)を、わが国の統治権(主権)から離し、これを自主独立のものとする点にあること。及び、同条約によるわが国の「朝鮮の独立」の「承認」は、国際法上、わが国が朝鮮の地域に対する統治権(主権)をすべて放棄した効力を発生し、その結果、その地域(領土)及びその地域の住民(人民)が、わが国の統治権から離れ、よつて、その住民がわが日本の国籍を喪失するものであること。を併わせ考えるときは、右平和条約第二条(a)項によつて、わが日本の国籍を喪失した者、すなわち、こゝにいわゆる朝鮮の「住民」とは、(一)原則として、古来朝鮮の地域に定住し生存してきた同地域と特殊な地縁関係のある朝鮮民族に属する、その血統にある、いわゆる「朝鮮人」を指すものである。そして、こゝにいわゆる「朝鮮人」とは、右朝鮮民族の血統にある朝鮮に本籍のある者をいい、朝鮮民族の血統にある者でも、本来の日本人(狭義の日本人)の妻(または養子・入夫)となつた者は、「本来の日本人」に準じた日本人であつて、これに包含されない。そして、右「朝鮮人」は、同条約の右条項の規定の精神に従い、その右条約発効当時、朝鮮の地域に定住していたと否とにかかわらず、同条約の発効と同時に、わが日本の国籍を喪失したものである。が、なお、(二)右原則に対する例外として、右平和条約発効当時同地域に定住し、「朝鮮人」の妻(または養子)となつていた本来の日本人(狭義の日本人)も、前記国際法上の原則に従い、右「朝鮮人」に準じて、右朝鮮の「住民」中に包含され、同条約の発効と同時に、わが日本の国籍を喪失したものである。すなわち、右平和条約の発効により、わが国法上、(一)原則として、朝鮮人(広義の日本人)は日本の国籍を喪失し、本来の日本人(狭義の日本人)は国籍の変更を来さない。ただし、この原則に対する(二)例外として、(1)朝鮮人でも、本来の日本人(狭義の日本人)の妻、養子・入夫となつた者は、国籍の変更を来さず、また(2)本来の日本人でも、朝鮮人(広義の日本人)の妻、養子となり、右平和条約発効当時朝鮮の地域に定住していた者は、日本の国籍を喪失したものである。と解するのが相当であると考えられる。

(5)  朝鮮に定住しない(朝鮮人の妻・養子となつた)日本人の国籍

従つて、右平和条約発効当時「朝鮮人」の妻(または養子)となつていた本来の日本人(狭義の日本人)は、同条約発効の当時、朝鮮の地域に定住していた者でなければ、右条約の発効によつて、日本の国籍を喪失したものではない。といわねばならない。けだし、それは、本来の日本人であるから、前記同条約第二条(a)項の規定の精神から考えても、また、それは、同条約発効当時同地域に定住していた者でもないから、前記国際法上の原則から考えても、朝鮮の「住民」として、わが日本の国籍を喪失する理由がないからである。(なおこの点に関し、右平和条約発効当日である昭和二十七年(一九五二年)四月二十八日成立し同年八月五日その効力を生じた日本国と中華民国との間の平和条約(昭和二七年八月五日号外条約第一〇号)第十条に、同条約の適用上中華民国の国民とは、「台湾及び澎湖諸島のすべての住民及び以前にそこの住民であつた者並びにそれらの子孫で、………中華民国が現に施行し、又は今後施行する法令によつて中国の国籍を有するもの」を指す。ものである旨を明示していることは、参考とすべきである。)

(6)  朝鮮に定住していた(朝鮮人の妻・養子でない)日本人の国籍

なお、また、「朝鮮人」の妻(または養子)となつていない、日本国と連合国との間の平和条約発効当時、朝鮮の地域に定住していた本来の日本人(狭義の日本人)は、同条約の発効と同時に、同地域(領土)がわが国の統治権(主権)から離れても、前記同条約第二条(a)項の規定の精神に従い、何ら国籍の変更を来さないものであると解する。

五、韓国の国籍及び日本の国籍の得喪

これを本件について見るに、被告人が婚姻をした被告人の夫前記山村良男こと金泳沢は、前記のとおり、朝鮮に本籍を有し、古来朝鮮と特殊な地縁関係のある朝鮮民族に属するいわゆる「朝鮮人」であるから、(同人は、その前記本籍地の地域に、前記大韓民国が成立すると同時に、同国の国内法上同国の国籍を取得し、一方においては、右平和条約発効時までは朝鮮はわが国の領土であるため、なおわが日本の国籍を保有し、二重国籍を生じたものと解せられるのであるが、)右平和条約の発効と同時に、同条約第二条(a)項によつて、日本の国籍を喪失したものであると解せられる。そして、戦後右平和条約の発効前、朝鮮の南部に前記のとおり大韓民国が成立しその檀紀四二八一年(昭和二三年)十二月二十日公布法律第十六号大韓民国国籍法第三条には、「大韓民国の国民の妻となつた者は、大韓民国の国籍を取得する。」旨を規定している(昭和二九年一〇月家庭裁判月報六巻一〇号一四一頁)から、被告人は、(前記金泳沢との婚姻により、わが国法上は同人の妻となつた者であるが、右婚姻については、前記大韓民国の国法上は、一九四五年十一月二日附米軍政法令第二十一号、明治四十四年三月二十五日法律第三十号「朝鮮ニ施行スベキ法令ニ関スル法律」、明治四十五年三月十八日制令第七号「朝鮮民事令」、大正十二年十二月七日制令第十三号、大韓民国檀紀四二三一年六月二十一日法律第十号大韓民国法例第十三条第十四条第二十七条第一項及び旧日本民法の規定が適用せられ、その婚姻は、韓国の戸籍吏に届出がないため、同国の国法上婚姻の効力を生ぜず、被告人は、金泳沢の事実上の妻であるにすぎなかつたのであるが、夫(わが国法上夫)金泳沢が右平和条約の発効と同時に日本の国籍を喪失したため、)右平和条約の発効と同時に、韓国人金泳沢の妻となつて、韓国の右国籍法第三条の適用を受け、当然韓国の国籍を取得するに至つたものである。と解せられる。しかし、それは、韓国の国内法上の問題であるにすぎない。わが国法上からこれを見れば、被告人は、前記のとおり、前記日韓併合とは何らの関係もない本来の日本人を父として出生し、旧国籍法第一条の規定により日本の国籍を取得した、朝鮮民族にあらざる、日本民族に属する本来の日本人であつて、被告人が右平和条約発効当時、朝鮮の地域に定住していた者でないことは、本件の各証拠によつて明らかであるから、被告人は、右条約の発効により日本の国籍を喪失したものではない。といわなければならない。けだし、日本国憲法上「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」(日本国憲法第一〇条、大日本帝国憲法第一八条)ものであり、「何人も、国籍を離脱する自由を侵されない。」(日本国憲法第二二条第二項)ものであつて、日本の国籍の取得及び喪失は、国籍法(昭和二五年法律第一四七号)の規定するところであるから、日本人は、国際法上国籍喪失の原因が発生した場合は格別、国籍法上の自己の意思による国籍喪失の原因が発生した場合でなければ、その有する日本の国籍を失わないものであると解すべきであるからである。なお、わが国籍法第八条は、「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。」と規定している。しかし、被告人が、前記のとおり、右平和条約の発効と同時に、韓国に国籍のある夫金泳沢の妻となつて、韓国の国籍を取得するに至つたのは、韓国の国内法である韓国の国籍法の規定上、当然これを取得したにすぎないのであるから、これを、わが国籍法上、被告人がその「志望によつて」外国の国籍を取得したものということはできない。従つて、それは、わが国籍法第八条所定の国籍喪失の原因にはあたらないものと解する。その他本件の各証拠によるも、被告人には、いまだ国籍法所定の国籍喪失の原因の発生したことは認められないから、被告人は、なお、日本の国籍を保有するものである。といわなければならない。

六、国籍の牴触

かく解するときは、被告人は、一方においては韓国の国籍を有し、また他方においては日本国の国籍を有して、国籍の牴触を来し、二重国籍を生ずることになるのであるが、元来国籍は、各国がその国内法である国籍法を制定して、その国の方針に従い、如何なる者にその国の国民たる資格を与えるかを決定し、これを規定するものであつて、各国の方針は必らずしも一致するものではないから、各国の国籍法は各その規定を異にする結果、或る国に国籍を有する者が国時に他の国の国籍を有する場合(国籍の積極的牴触・重国籍・複国籍)もあり、また、或る者はいずれの国の国籍をも有しない場合(国籍の消極的牴触・無国籍)も生ずるのであつて、それは、実際上到底免れえないことである。従つて、わが国籍法も重国籍を認めている(同法第九条第一〇条)のであるから、あえて、これを異とするに足らない。

右のとおり解しても、何ら右平和条約第二条(a)項の規定の趣旨に反するものではなく、かえつて、かく解してこそ、右平和条約第二条(a)項の規定の精神にも沿い、また国際法上の原則にも合致し、はじめて、日本国憲法及び国籍法上の前記諸規定をも、何らの矛盾なくこれを解明することができるものであると信ずる。

七、東京高等裁判所の見解(解釈)を、採らない理由

この点に関し、検察官提出の東京高等裁判所の判決(昭和三二年(う)一七七三号事件、同年(う)二三五〇号事件、各昭和三四年八月八日東京高裁第一一刑事部判決、東京高裁判決時報一〇巻八号刑三六二頁以下等)は、

「(1) 右平和条約が発効すると同時に、その第二条(a)項によつて、総ての朝鮮人は日韓合併のなかつた時の状態に復して日本の国籍を「離脱」(「離脱」と判示しているが、それは、「喪失」とすべきであると思う。何となれば、「離脱」という語は、法律上、個人の志望による任意的喪失の場合(国籍法第一〇条、旧国籍法第二〇条ノ二第二、三項第二〇条ノ三)に用い、当然喪失の場合(国籍法第八、九条、旧国籍法第一八、一九、二〇、二〇ノ二第一項二一条)には用いないからである。なお、「離脱」は、失なわないで保有するから志望によつて「離脱」し、離脱してはじめて失なう(国籍法第一〇条第三項、旧国籍法第二〇条ノ二第三項)ものである。)し、外国人となつたものと認められる。

(2) こゝに朝鮮人とは、先の日韓「合併」時において、韓国籍を有していた者、及び日韓合併なかりせば当然韓国籍を得たであろう者、の総てを包含するものと解するのが相当である。(以上(1)及び(2)は、昭和三〇年一〇月一二日最高裁大法廷判決昭和二四年(れ)一一二八号事件中の栗山、岩松、河村、小林各裁判官の補足意見も同旨、最高裁裁判集昭和三〇年刑事(一〇九)三四五頁)従つて、

(3) 終戦後右平和条約発効前朝鮮人男子と婚姻をしその妻となつた日本人女子は、いまだ朝鮮の「戸籍」に登載せられていなくとも、当然夫の戸籍即ち朝鮮の戸籍に登載せらるべき事由が生じた者であるから、右婚姻により朝鮮人たる身分を取得し、右条約の発効と同時に、当然朝鮮の戸籍に登載せらるべき事由が生じている者として、既に朝鮮の戸籍に登載せられている者と同様に、朝鮮人として、右条約第二条(a)項によつて、

当然日本の国籍を離脱(「喪失」)とすべきである。)し外国人となつたものである。」

との見解を示している。

しかし、右の見解は、右平和条約第二条(a)項の解釈として、はたして、その正こうを射たものであるといえるであろうか。いささか疑いなきをえない。

まず、右見解(1)についてこれを考えるに、その「平和条約第二条(a)項によつて、」わが国と朝鮮との関係が、「日韓併合」(東京高裁の前記昭和三二年(う)一七七三号事件判決及び前記最高裁補足意見はいずれも「日韓合併」といつているが、わが国は、(旧)韓国と合併して(日本国及び旧韓国を消滅させ)新国家を成立させたものではなく、(旧)韓国は前記「韓国併合ニ関スル条約」によりわが日本に併合(同条約第二条)され、併わせられてその一部を成していたと見るべきである(「韓国併合ニ関スル宣言」明治四三年八月二九日官報い報欄掲載)から、「日韓併合」というのが正しいと思う。他の用語例、併合罪、前記東京高裁昭和三二年(う)二三五〇号事件の判決は「日韓併合」の語を用いている。)「のなかつた時の状態に復」するとは、それは、如何なることを指すのであろうか。若し、それが、(一)右条約第二条(a)項によつて、わが国が朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対するわが国の統治権(主権)をすべて放棄した結果、朝鮮の地域(領土)及びその住民(人民)が、わが国の統治権から離れたことを意味するものであるとするならば、もとよりそれは正当な見解である。

けれども、また若し、それが、(二)右条項によつて、わが国と朝鮮との関係が、日韓併合前の状態(原状)に(回)復することを意味するものであるとするならば、はたして、それは正当な見解といえるであろうか。けだし、わが国は、右条項によつて、朝鮮に対する統治権を放棄したものであるが、およそ、権利の放棄は、権利者の一方的行為で、将来に向つてその効力を生ずるものであつて、必らずしも、権利者をその権利取得前の原状におくものではなく、権利を放棄した者もなお、権利取得の時からこれを放棄するまでの間は、依然権利者であると解すべきであるからである。或いはまた、それが、(三)わが国が右条項によつて、朝鮮に対するわが国の統治権を放棄した結果、わが国と朝鮮との関係が、日韓併合前の関係と同様な状態にたち戻り、朝鮮の地域の領土及び住民がわが国の統治権から離れたことを意味するものであるとするならば、それは、結局前記(一)と同旨に帰し、もとより正当なものであるが、それならば、あえて、これを、「日韓併合(「日韓合併」と判示)のなかつた時の状態に復」したとするまでのこともなかつたのではあるまいか。右(1)の見解は、右(一)ないし(三)中そのいずれを採るものであるか明らかでない。

次に、右(2)の見解についてこれを考えるに、右(1)については、前記のとおり、多くの疑いをもたねばならぬのであるが、仮に右(1)のとおりであるとするも、右(2)の「朝鮮人」とは、日韓併合当時朝鮮(旧韓国)に国籍のあつた者(旧韓国人)及びその子孫を指すものである(昭和二九年二月二七日東京地裁判決昭和二七年(行)一七五号事件行政事件裁判例集昭和二九年五巻二号四一七頁は同旨)。と解すべきが当然である。けだし、同条約の右条項は、前記のとおり、その規定の目的とするところは、古来朝鮮と特殊な地縁関係にある朝鮮民族、すなわち「朝鮮人」の朝鮮独立の要求を容れて、わが国が「朝鮮の独立」を承認し、朝鮮に対するわが国の統治権(主権)をすべて放棄して、朝鮮の地域(領土)及び同地域の住民(人民)を、わが国の統治権から離し、これを自主独立のものとすることにある。と見るべきであるから、そのいわゆる「朝鮮人」とは、古来朝鮮の地域に定住し生存してきた同地域と特殊な地縁関係のあるその住民、すなわち「朝鮮民族」に属する、その血統にある者を指すものである。と解することが、最もよく右条約第二条(a)項の規定の精神にも沿い、また、健全な現時の社会常識にも適合するものであると考えられるからである。

さらに、右(3)の見解についてこれを考えるに、こゝにいわゆる「朝鮮人」に、日韓併合後右平和条約発効時までの間に、朝鮮の「戸籍」に登載せられた者及び登載せらるべき事由が生じていた者のすべてを包含するとするならば、それらのうち、右日韓併合当時、すなわち、朝鮮がわが国の統治権下におかれた直前、朝鮮(旧韓国)に国籍があつた者(旧韓国人)及びその子孫以外の者については、(それは、過去において、日韓併合がなかつたなら、なお、日韓併合当時の(旧)韓国がその後も今日まで存立していたなら、(旧)韓国の国籍を得たであろう。が、しかし、それは、過去において、日韓併合がなかつたなら、あえて、「朝鮮(旧韓国)人」の妻(または養子)となつて、朝鮮の戸籍に登載され、または登載せらるべき事由が生ずるには至らなかつたであろう。とも、考えられるのであつて、その者が古来朝鮮の土地に定住してきた同地域と特殊な地縁関係のある朝鮮民族の血統にある者でなければ、たとい、朝鮮の戸籍に朝鮮人の妻(または養子)として登載されていても、(その戸籍登載事由の生じた当時においては、朝鮮はわが国の領土であり、朝鮮の戸籍はわが国の戸籍であつたのであるから、))はたして、これを「朝鮮人」と呼び、「朝鮮人」として、わが国の統治権から離す、また離さねばならぬ理由がどこにあるのであろうか。社会生活上健全な常識をもつ者の到底首肯しえないところである。けだし、婚姻中における夫の国籍の喪失が、その妻の国籍喪失の原因となることを認めていた旧国籍法(旧国籍法第二一条)(夫婦国籍一体主義、一元主義)は、すでに廃止され、妻の人格を重んじその自由意思を尊重する現代の趨勢にかんがみ、日本国憲法第十四条は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、性別により、差別されない。」旨を明示し、右の趣旨に従つて制定されたわが現行国籍法は、夫の国籍の喪失を妻の国籍喪失の原因とはしていない(夫婦国籍独立主義、二元主義)からである。

なるほど、被告人の夫金泳沢のような「朝鮮人」も、右平和条約発効時までは、日本の国籍を有していた日本人(広義の日本人)であつた。そうして、それは、右条約の発効と同時に、同条約第二条(a)項によつて、その日本の国籍を喪失するに至つた。しかし、朝鮮人が右条約発効時までもつていた日本の国籍と、被告人のような、古来の日本人を父として、しかも日本において、出生した者(狭義の日本人)のもつ日本の国籍とは、その国籍取得の原因を異にする。すなわち、前者は前記日韓併合の存在を前提とするに対し、後者は何らそれに関係はない。してみれば、同条約第二条(a)項が、仮に、右(1)説示のとおりわが国と朝鮮との関係を、右日韓併合前の原状に回復するものであるとすれば、日韓併合の存在を前提として朝鮮人が右条約発効時までもつていた日本の国籍が、同条約の発効によつて、その存立の前提を失ない消滅(喪失)するに至ることは、まことに当然であるが、それによつて、右日韓併合とは何ら関係のない、本来の日本人(狭義の日本人)のもつ日本の国籍が、何ら変更を来すものとは考えられない。

なお、右平和条約発効時まで「朝鮮人」(広義の日本人)がもつていた日本の国籍と、本来の日本人(狭義の日本人)のもつ日本の国籍とは、その本質を異にする。すなわち、前者は、わが国が、わが国と(旧)韓国との間に締結した前記「韓国併合ニ関スル条約」により、韓国を「併合」(同条約第二条。「合併」ではない。)した結果として、「全然韓国ノ施政ヲ担任シ、同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及財産ニ対シ、十分ナル保護ヲ与ヘ、且其ノ福利ノ増進ヲ図ル」(同条約第六条、昭和九年三月外務省条約局編輯版「旧条約い纂」第三巻二二四頁)ことに対し、その保護(国内法上及び国際法上)を受け、その利益を受ける資格であるにすぎないのであつて、その資格を有する者(広義の日本人)は、その本質上、わが国の国政に参与する権利(参政権)はなく(同条約第七条)、また、わが国に対し忠誠の義務はなかつたのであるが、後者は、これとその本質を異にし、それは、右「韓国併合ニ関スル条約」とは何らの関係もなく、本来日本民族の血統にある者が、生れながらに有するわが国の国民たる資格であつて、その資格を有する者(狭義の日本人)は、ただ単に、国家の施政によりその保護を受け、その利益を受けることにとどまらず、その本質上、わが国を構成する一員であつて、わが国の国政に参与する権利(参政権)があることはもとより、わが国に対し忠誠の義務をおうものであると解すべきである。これ、大日本帝国憲法施行当時、前者には、「兵役ノ義務」(同憲法第二〇条)がなかつた所以である。そして、この右両者間における本質上の差異は、朝鮮(旧韓国)の地域はわが国古来の本土と異なり、前記「韓国併合ニ関スル条約」により、わが国が「全然韓国(旧)ノ施政ヲ担任シ」(同条約第六条)て、これを統治してきたことに起因するものであると解すべきである。して見れば、わが国が、日本国と連合国との間の平和条約第二条(a)項によつて、朝鮮に対する統治権をすべて放棄し、同地域の「施政を担任」しなくなつたため、「朝鮮人」のもつていた日本の国籍が、同条約の発効と同時に、その存在理由を失ない消滅(喪失)するに至つたことは当然であるが、これとその本質を異にする本来の日本人のもつ日本の国籍が、それによつて、何ら変更を来すものとは考えられない。

元来国籍とは、人がその国の国民たる資格をいうのであるが、戸籍は、その国の国家機関が行政上の目的のために、その国に属する人の氏名、生年月日、父母の氏名及びそれとの続柄、性別等を記載した書面にすぎない。国籍と戸籍とはその観念を異にし、国籍の帰属如何は、本来戸籍の有無ないし戸籍登載事由の有無にかかわらず、それに先行して決定せられねばならぬ問題である。そのことは、わが国籍法第二条第四号が、「日本で生れた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。」は、その子は日本の国籍を取得する旨を規定している(旧国籍法第三条も同旨)ことに徴するも明らかである。

また、国家が或る時代において、その国に属する者として戸籍に登載した者または登載すべき事由が発生していた者であつても、その国家に後の時代に至り、その国家の領土の一部に独立が行われて、その独立の際の定により、それらの、一部(或る者)について、なお旧領有国の国籍を保有することとしたときは、その者は、たとい、従前独立地域(旧領有国)の戸籍に登載されていても、その独立の趣旨に従い、同地域の独立によつては、国籍の変更を来さないのであるから、右のような特別の定のない場合においても、同様に解すべきであつて、領土の一部独立の場合における独立地域住民の国籍の帰属如何は、独立地域における戸籍またはその登載事由の有無によつては、必らずしもこれを決定しえないものであると考えられる。

領土の一部に独立が行われた場合に、その独立地域に関係のある、独立地域に(一)生れた者(二)本籍のある者(三)住所のある者(四)居所のあるにすぎない者(五)古来定住し生存してきて、特殊な地縁関係のある民族に属する者等のうち、そのいずれを独立地域の住民、すなわち、独立地域の統治権の対象と認めて、これに、その地域の統治権の変更とともに、旧領有国の国籍を喪失させるかは、ひつきよう、その独立(領土の変更・領土主権の変更)の原因となつた当事国間の条約の趣旨、その他その当時における諸種の事情に従い、各個の場合につき、具体的にこれを決定せねばならぬ問題であると考えられる。そして、前記平和条約には、当時成立していた朝鮮の地域におけるいずれの政府も、当事国として、これに関与していないのであるが、わが国法上朝鮮の地域の独立は、右平和条約第二条(a)項により、わが国が「朝鮮の独立を承認して、」同地域に対する統治権を放棄したことによつて生じたものであるから、同条約の発効と同時に、朝鮮の地域に関係のある前記いずれの者が、日本の国籍を喪失したかは、右条約第二条(a)項の趣旨と国際法上の原則とに従つて、これを決定しなければならない。

そして、右平和条約第二条(a)項の趣旨が、古来朝鮮の地域に定住し生存してきた同地域と特殊な地縁関係のある「朝鮮民族」を、わが国の統治権から離して、これを自主独立のものとすることにあることは、前記のとおりであるから、同条約の発効と同時に、同条項により、わが国の統治権から離れた、すなわち、わが国の国籍を喪失した者は、(一)原則として、朝鮮民族に属する「朝鮮人」(前記(五))である。ただし、この原則に対する、(二)例外として、右条約発効前「朝鮮人」の妻または養子となり同条約発効当時朝鮮に定住していた日本人(狭義の日本人)は、前記国際法上の原則に従い、「朝鮮人」に準じて、同条約の発効と同時に、日本の国籍を喪失したものである。しかし、右条約発効前「朝鮮人」の妻または養子となつていても、同条約発効当時朝鮮に定住していなかつた日本人(狭義の日本人)は、同条約の発効により日本の国籍を喪失したものでない。と解するのが正当であると考えられる。

思うに、言葉は公共のものである。世上広く用いられてこそ、はじめて、それは、そのおわされた使命を完うして、人生をも裨益し、文化の向上にも寄与することができるのである。若し、言葉が、これを用いた真意と齟齬していたら、世人はその真意を知ることができず、その表現だけで、それのもつ意味、内容を察知するため、誤解をまねき、言葉はその使命を完うしえない。そこで、用語はこれを用いる人の自由であるが、これを用いる者は、つとめて、世上広く用いられているその一般の用方によらなければならない。そうだとすると、終戦後日本内地において朝鮮人と婚姻をし、その妻となつたが、朝鮮には住んだこともない「日本人」の女を、たとい、裁判上の用語であるからとはいえ、これを「朝鮮人」と呼び、朝鮮人として、ことを処理することが、はたして、世上一般の用方にもかなう妥当なものといえるであろうか。いささか疑いなきをえない。そうして、それが、ただ、その用語の点にとどまるものならばともかく、裁判上ひとたび、「朝鮮人」と呼ばれ、朝鮮人とされれば、その者は、自己の意思によらないで、その生来居住する日本の国籍を喪失したこととなつて、生活上及び法律上重大な利益を、理由なしに、(ただ、朝鮮人という当時の日本人と結婚し、「朝鮮人の妻」であるという理由だけで。)奪われることとなる場合においては、ことさら、特にこれを注意せねばならぬことではあるまいか。

これを要するに、前記東京高等裁判所における判決の見解は、右平和条約第二条(a)項が、同条約中に規定せられるに至つたその由来をかえりみず、その規定のもつ前記歴史的背景を看過して、その規定の精神を誤解し、同条約第二条(a)項の規定の趣旨よりするも、また、国際法上の原則よりするも、「朝鮮地域の住民」、すなわち、朝鮮の地域に対するわが国の統治権の対象とは、到底これを認めることのできない、終戦後同条約発効前朝鮮人と婚姻をしその妻となつたが、いまだ朝鮮に住んだこともない日本人女子(狭義の日本人)までも、その婚姻により、夫の戸籍である朝鮮の戸籍に登載すべき事由が生じたから、「朝鮮人」たる身分を取得し、同条約発効と同時に、日本の国籍を喪失(右東京高裁判決は「離脱」といつているが、「離脱」という語は個人の志望による任意的喪失の場合(国籍法第一〇条、旧国籍法第二〇条ノ二第二、三項第二〇条ノ三)に用い、当然喪失の場合(国籍法第八、九条、旧国籍法第一八、一九、二〇、二〇ノ二第一項、二一条)には用いない。)したものであるという、人の「身分」により法の下において差別的な待遇をする過誤をおかした(日本国憲法第一四条第一項)もの、(朝鮮人という「身分」を取得しても、朝鮮人の血統にある者でなければ、それは、同条約の精神からすれば、いわゆる朝鮮人ではなく、また、朝鮮に定住していた者でなければ、それは、国際法上の原則からすれば、その地域の住民ではないのであつて、ただ単に、その「身分」があるからとの理由だけで、わが日本国憲法上及び国籍法上、他の日本国民と別異の取り扱いをするのは、法の下において、差別待遇をするものである。)といわなければならないのであつて、到底正こうを射たものとはいえないから、右の見解はこれを採用しない。

八、結論

されば、被告人は、前記のとおり、昭和二十七年四月二十八日右平和条約の発効と同時に、韓国の国籍を取得した者ではあるが、なお、日本の国籍を保有する者であるから、いまだ外国人登録法所定の「外国人」とはいえない。

右のとおり、本件公訴事実は犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人に対して無罪の言渡をしなければならない。

右の理由によつて主文のとおり判決する。

(裁判官 上泉実)

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